明治学院大学バドミントン部

沿革:

昭和27年(1952)4月創部

  関東バドミントン連盟2部に加盟

  青山学院大学・一橋大学・東京学芸大学・東京理科大学・学習院大学・

  横浜市立大学・立正大学(のちに加盟)とのリーグ戦に参加。

創立時からの部員:

  (50)門田途夫・辻丸篤

    (51)宮下清昭

(52)山本孝・沼尻正人・川添為久・宇野道夫・大森章・斉藤憲朗・

       鈴木弘一・春山和彦・山田敏子・守屋(54年に中退)

   (53)加藤英夫・佐藤慶子・近藤和江・柿沼

     (54)荒井茂芳・  近藤直利・大野秀雄・田辺成学・

   (55)鈴木毅夫・石井裕巳・山田哲・小岩重孝・野沢秀行・小川浩司・

     (56)浜岡輝行・塚部芳明・鵜崎信二・川名清・

  (57)川嶋俊夫・佐藤泰丈・田島章・筒井重好・

(58)佐藤哲彦・大串智洋・森近日出夫・和田堯・大久保武壽・

   上田精一郎・川端伸太郎・高井喜由江・佐藤和子

 

 リーグ戦成績(最高位):

    昭和29年の2部リーグ戦で優勝、1部日本大学(最下位)との入れ

    替え戦では惨敗。

OB会設立と監督:

   山本孝の発案により、OB会の規約が作成され、山本孝が初代会長に就任。

創部時の田監督から引き継いだ山本孝が平成21年(2009)まで2代監督として後進の指導を行った。

歴代OB会長:

   初代 山本孝(1952)、2代荒井茂芳(1954)、3代 佐藤哲彦(1958

現在 奥田永生(1979

                  

創立時のエピソード

 昭和27年(1952)の4月のある日、チャペル横のスベースで二人の学生がコックがついた羽根をラケットで打つ、西洋羽根突きのような事をやっているのを見つけ、「なんと云うゲーム?」ときいたら、「バドミントンだよ‥。」と辻丸に教えてくれた。

 二人は今年の入学生で、新潟出身の大森章君と北海道出身の守屋君で、高校でバドミントンを行っていた経験者であることが解りました。

 3年生の辻丸が、バドミントン部を創部しましょうと提案、体育館でデンマーク体操の指導されていた高橋賢一先生と同期生の門田君に相談して、創部の手続きを行い、部員を募集したら、明治学院中学・高校から進学した学生、体操を行っていた学生、女子学生3名が参加、無事バドミントン部が創部できたのです。

 体育館は天井が低いため、バドミントンは出来ないことが解り、白金小学校と交渉、定期的に体育館をお借りすることが出来ました。

 関東バドミントン連盟第2部に所属し、創立当初から優勝を争う程の力のあるチームでした。辻丸がマネージャーとして、メーカーのサンバタからシャトルコックの調達やラケットの網の張り替えなどを行いました。

(注)創部当時の記録の所在は不明。辻丸の記憶によりますことをご了承下さい。

                         (文責:辻丸 篤)